人は(不可抗力的に)非モテとして生まれ、非モテとして育っていく

元イさんなのだ。
連載「元イさんの彼女いない歴35年からの非モテ脱却戦略」の第2回になりますのだ。
前回のおさらい

前回は、元イさんがいかにして彼女いない歴=年齢の35歳になってしまったのかを書かせてもらったのだ。
教訓は「間違った戦略を取り続けていては成果は得られない」なのだ。
失敗や現実を認めることを拒否し、ひたすらに間違い続けて、ただなんとなく「ひたむきに頑張ればいつか報われるはず」という、独りよがりな努力をし続けてしまった末路なのだな。
ちなみに前回記事では書かなかったのだが35年の迷走の末に待っていたのは、アラサー男の失恋と、恋愛、婚活と仕事を両立しようとして無理がたたり起こした仕事の大失敗、ストレスからの双極性障害の発症なのだ。
発症から5年は経つ現在なのだが、結婚してもこれは治っていないのだな。
メンタルの病気は脳の病気、一度なってしまうとなかなか治らないのだ。読者のみなさんも注意してほしいのだ。病気になるほど自分を追い詰め続けてはいけないのだ。
続いて今回、第2回のタイトルは
「人は(不可抗力的に)非モテとして生まれ、非モテとして育っていく」
なのだ。
1回目は「戦略の間違い」という話だったのだ。
2回目は「正しい戦略」を取るためにまず「正しく現状認識」をしよう、という話から始めるのだ。
なぜ自分が非モテになってしまったのか、どうしていま自分に彼女がいないのか…
現状を一緒に正しく確認して、共有し、そこから「この非モテ状態からの脱却戦略」について話を移していこうと思うのだ。
非モテに生まれ育ってしまっても、そこからやれることをコツコツと確実にやっていって、巻き返す、なんとかしていく、ということを書いていくのだ。
人は非モテとして生まれ、育ってしまう〜ただしイケメンは除く〜

「人は非モテとして生まれてしまう」「非モテに育ってしまう」これはどういうことか?
一言で言えば
「人は努力不足で非モテになるのではなく、非モテに生まれついてしまったり、与えられた環境が自分を非モテにしてしまう」
そういう話なのだ。

なぜ自分は非モテになってしまったのか?
他のやつにできて自分になぜ彼女ができない!?

恋愛できている奴と自分の何が違うのか?

自分は努力不足で、恋愛できている奴らは遊んでばっかにみえるのに、あいつらは自分より努力してきたっていうのか!?
おそらく、この記事を読んでいる非モテに苦しむ若い方、中学、高校、大学生や社会人の皆さんは、多かれ少なかれ同じようなことを考えた経験があるんじゃないかと思うのだ。
その疑問にお答えするのだ。
恋愛が自然にできている人と自分では、
「生まれ」が違うし「育ってきた環境」も違うのだな。
絶望的なまでに、生まれと環境が違う、そして恵まれた「生まれ」や「環境」は逆立ちしても手に入れることはできないのだ。
この2つで絶望的なまでに人生に差がつく、違いが生まれるのだな。
その生まれと環境のちょっとの差、もしくは絶望的なまでに大きな差で、人は非モテになってしまうし、逆に作用すれば人を恋愛ができる人間に生まれ育ててしまうのだ。
生まれが人を非モテにする〜遺伝子の差で雲泥の差〜

人を非モテにする生まれについて、前回に続いて元イさんの話を少しさせてもらうのだ。
元イさんには3歳年下の弟がいるのだ。何の因果か、遺伝子の妙というか、運命のいたずらか……弟はそれはそれはイケメンに生まれてしまったのだ。一時期活躍した韓流のイケメン俳優にそっくりなのだ。
しかも、そのおそらく整形と化粧をして最大限に見栄えをよくした韓流のイケメン俳優の写真と見比べてみても、整形してもなければ化粧もしていない弟のほうがイケメンだったのだ…。
母親が、幼少期の可愛らしい弟を子役が活躍する劇団に入れて芸能の仕事を少しさせてみようと思ったのも納得できるのだ。
元イさんが親でも、そうしていたと思うのだ。弟は性格的に向いていなかったようで辞めてしまいはしたのだが。元イさんと弟、とても血が繋がっているとは思えない扱いの差なのだな。
似てないという事は、鏡の中の自分の顔と、弟を毎日見比べる自分が一番わかっているのだ。
毎朝毎朝、顔を洗うたびに鏡を見て惨めな気持ちになったのだ。なんで同じ親から生まれて、こんなに違うのか…。
元イさんが非モテのまま、彼女ができないままで35歳になったのは前回の通りなのだが、
弟は、中学生の時に同級生に告白されて以来、恋人が途切れたことはなかったのだ。まわりの女の子が放っておかなかったのだな。
振られてもまた次、また次と女性の方から…わんこそば状態なのだな。
弟は、非モテとして生まれなかったし、周りの環境が彼を非モテにさせなかったのだ。
大人になったときに、彼に

恋愛のコツは?

どうやって彼女をつくるの?
という質問をしたことがあるのだ。答えは簡単だったのだ。
「自分のことを好きそうな人に告白する」
それは確かに真理だったのだ。自分のことを好きな人に告白できればふられないのだな。
しかし、それは勝者の理論なのだ!それができたらだれも苦労はしないのだ!
まず周りに自分のことを好きそうな人がいない、そういう環境にいないのだ。
生まれの差が大きな差になってしまった、そういうケースなのだ。
そうやって非モテとして生まれなかった弟と比べると
元イさんは順調に非モテとして生まれ、また、まわりの環境に非モテとして育てられていったのだ。
だれにとっても認めたくない残酷な話なのだが、イケメンに生まれたら恋愛面での苦労は少ないし、少しの努力で成果も大きいのだ。
また、昨今流行りの「親ガチャ」による金銭面や情操教育面などでのプラスに働く属性も、大きな差を生むのだな。
それが無いなら、無いなりの戦い方、戦略を練らないといけないのだ。
人を非モテに育てる環境〜コミュニケーション弱者に育っていく〜

人を非モテにする環境について、また元イさんの話をするのだ。
女にもてまくる顔が良い弟と一緒に暮らすという環境は、多感な時期を過ごす男には非常に厳しいものだったのだ。
特に非モテの男には最悪なのだな。完全なる敗北を毎日実感するのだ。
鏡を見るたびに「自分は弟と比べて醜く、格好が悪い、モテない」と自分に呪いを吐いていたのだ。自分にかける呪いは日々強力になっていったのだな。
元イさんの母や、周囲の大人も弟と元イさんの見た目をくらべた発言を繰り返したのだ。軽口や、弟を褒めるときの引き合いとして口に出したものだったとしても、心には突き刺さるのだな。
「元イさんは、顔が悪い」そういう意識が、自分を恋愛についてより奥手に、女性にはより消極的にし、ますます自分を非モテにしていったのだな。
そう思わざるを得ない環境だったのだ。
女性に悪く評価されている、顔を比べられているという思いから女性とのコミュニケーションを難しくさせたのだ。
彼女がほしいと思う一方で、そうやって女性を遠ざけていたのだな。
また、同じ男性に対しての劣等感も育っていったのだ。自分は見た目で劣るという気持ちから、同級生の男たちに対しても引け目を感じ、うっすら遠ざけていたのだ。
自然と、コミュニケーションを取るよりも一人でいたほうが気持ちが楽になっていったのだな。
また、元イさんは発達障害の診断済みADHDでもあるのだ。診断がおりたのは35歳前後の双極性障害になったあとの話で、それまでは自覚もなかったのだな。
ただ、そのADHD由来で、なんとなく人との会話が噛み合わなくて、人付き合いがつらい、疲れる、うまく行かないという感覚があったのだ。その結果、一人遊び、一人でやるオタク活動に没頭していって、他人と行動をともにするようなことは避けていったのだな。
その点でも女性だけでなく、他人を遠ざけたのだな。
そんな元イさんに、高校、大学、会社と自分が選んだ環境に、非モテを克服させるようなきっかけや、幸運な出会いは残念ながらなかったのだ。兆しやチャンスはもしかしたらあったのかもしれないのだが、すべて、避けていったのだ。
その薄い機会すら避けた結果、中学では非モテもコミュ障も解消できず、高校大学、社会人になっても、その余波でコミュ障のままだったのだな。
たしかに必死の努力はしたのだが、間違った努力、間違った戦略だったのだな。
部活を頑張れば、仕事を頑張ればコミュ障も恋愛もなんとかなるはず…!!そういう戦略が間違っていたと気付けるような「環境」ではなかったのだな。
元イさんの生まれが元イさんを非モテにし、元イさんに用意されていた環境や、自分が自然と選びとっていった環境は、非モテに拍車をかけ、元イさんは非モテになったのだ。
ただ生まれて、自然に生きていただけで、非モテになったのだ。
一方で、元イさんの弟のようにモテてしまう人は、告白される事によって彼女ができ、振られても恋愛経験が残るのだな。また告白され、恋愛を経験し…と経験値が増していくのだ。
恋愛し慣れていくのだな。
持たざるものが、持たざるがゆえにより与えられない環境に陥り、モテるものはモテるがゆえに与えられる環境を得てしまう、そういう話なのだ。
負のスパイラルから抜けるには、悪い流れにあらがっていかないとなのだ。
まずは自分がこれまでどういう方向にどうやって流されていってきたのか、今はどういう方向に流れていってしまってるのか、現状認識を厳しくするのだ。。
正しい問題解決には、正しい現状認識を、なのだ。
モテ/非モテは努力の差にあらず

1つはっきりさせておきたいのだ。努力についてなのだ。
弟は中学に進学したあたりで自然と告白されて彼女を作り、元イさんは中学に進学して特に何も考えず生活し、勇気を出して告白をしたのだがふられてしまい非モテのままだったのだ。
弟と元イさんに努力の差はどこまであるのか?
元イさんの努力不足なのか?元イさんのせいだったのか?
元イさんの生まれや育った環境は、元イさんの努力よりもずっと強力に元イさんを非モテにしようと働いていたのだな。
いま、非モテを克服して改めて思うのだ。人を非モテにする「生まれ」と「環境」の問題は非常に重要なのだ。
それは中、高、大学時代での努力で覆せたかもしれないのだが、
しかしその努力は「たくさんの失敗を経験するという多大なコスト」と、「正しいやり方にたまたまたどり着ける運」を必要とするものだったのだな。
その運は元イさんには無かったのだ。
そしてまた一つ大事なポイントがあるのだ。間違えた努力を全力でしてしまうと、人を余計に非モテにするのだな。
ストーカー扱いされたり、犯罪とされる事をしてしまったり、人から遠ざけられたり、人間関係をこわしたり、トラウマのようなものができて引込み思案になる、など悪い結果に結びつく努力もしがちなのだな。
非モテに生まれてしまうということは「正しい戦略を取る、別の戦略を取るという発想や、手段を与えられない環境もある」ということなのだ。
これを読んでいるあなたは、必死で頑張ってきた、歯を食いしばって努力してきた、自分がイケメンであったなら簡単に恋人ができていたかもしれないのに、しかし生まれと環境が邪魔をして、非モテ状態に陥っているのだ。
生まれと環境が与えた影響は非常に大きく、生まれや環境が良い人の努力よりも多くの努力と工夫がいるのだ。
正しい戦略〜非イケメン・コミュ障の戦い方〜

これからやらなければいけないのは、その生まれや育ちで抱えることになったマイナスに作用するものを打ち消していくことなのだ。
非イケメンである自分に合った効果的な戦略を取らなければいけないのだ。
それはイケメンや環境に恵まれモテて来た人とは別のやり方、別の戦略に自然となっていくのだ。
イケメンと同じやり方では同じような結果にはならないのだ。
また、イケメンでなくても普通に恋愛できてしまっている人にとっては極めて普通なやり方、恋愛の仕方だったりするのだが…
それがその人たちには当たり前すぎて、敢えて説明することができなかったりするものなのだな。彼らはそれをするのが普通と思っているので、それができない人がいると思っていないのだ。
みんなもやってるもの、知っているものだと思っているのだ。
それを知る機会が「あった/無かった」の差で、人生が大きく変わるのだな。
これを読んでいる人は、それを知る機会が無かった、だから何をどう頑張ればいいのかわからないという人がほとんどだと思うのだ。
持たざる自分はどんな努力を…?のところに、この連載では応えていこうと思うのだ。
努力の方向、努力のやり方、身につけようとするスキルをしっかり考えて、見極めるのだ。
自分は果たして非モテなのか〜25歳までは出会いのボーナスタイム〜

では自分は果たして非モテに生まれたのか、非モテに育ってしまったのかどうか…自分では判定しにくいものなのだな。
そもそも「非モテ」という概念すら定まってはいないのだな(※1)
※1
非モテの概念や非モテについての研究は「非モテ研」の書籍などを読むのがオススメなのだ。
元イさんは非モテとはなにか、については詳しく語らないのだ。
元イさんが連載内でもTwitterでも「非モテ」と使うときは、
これまで彼氏彼女ができたことが一度もなく、今後もできる見込みが立っていない状態
これを元イさんは非モテとして、使っているのだ。
で、自分が非モテかどうかのわかりやすい判別方法は
「25歳まで彼氏彼女いない歴=年齢」
この場合、もう自己認識は「非モテ」で良いと思うのだ。
ではなぜ25歳なのか。
25歳は大卒社会人3年目の標準的な年齢なのだな。
その年齢までに出会ってきた女性たちの中に、自分の彼女になってくれる人がいなかったら、今までの生き方のままで今後、彼女ができる可能性は限りなく低いと思ったほうがいいのだ。
詳しく説明していくのだ。
元イさんは25歳まで、つまり大卒社会人の3年目までを「出会いのボーナスタイム」と呼んでいるのだ。
なんとなく生きていても自然と進学・就職によって新しい出会いがたくさんあるのだな。
小学校から中学、中学から高校と、最も消極的に生きてきたとしても環境の変化によって沢山の人と出会うことができ、知り合いが増えていくのだ。
しかしその出会いがたくさんある環境の変化も、会社に入ってしまえば終わりをむかえてしまうのだな。入社から三年も経てば人間関係もあらかた落ち着いてしまうのだな。
その後の人との新たな出会いは、ほんの少しずつや、たまたまにしか起きず…基本的に出会いは尽きてしまい、何かしらの新しい動きも終わってしまうのだな。
非・非モテの人はそのボーナスタイムのときの新しい出会いを逃さないのだな。
その出会いがたくさんあるうちに彼女を作り、人によってはそのまま結婚するまで付き合い続ける、という流れを目撃している人もいるかと思うのだ。
元イさんの大学の部活の同期の男の三分の一は、それで結婚していったのだ。
逆に言えば、元イさんのように非モテの人間は、この出会いのボーナスタイムというチャンスをバッチリ逃すのだ。
環境が変わると多くの出会いがあるのだ。周りの人間も入れ替わるのだ。小学校に入ってから4から5回はある長い人生の序盤の、沢山の人との新しい出会い機会を…非モテの人は恋愛的に無風で過ごしてしまうのだな。
だから、あえて断言するのだ。25歳、新卒三年までで自分なりに生きてきて彼女が作れなかった人間は、そのまま自分らしく生きていても恋人が作れることはまずないと思ったほうがいいのだ。
そのまま恋人を作れない自分らしく生きていけば、なのだな。生き方を変える必要があるのだ。
自分は、自力で恋愛にたどり着くのが難しい「非モテ」なんだと認識をしたほうがいいのだな。
山のような出会いのチャンスは自然に生きていても、もう訪れないのだな。山程の異性との出会いで、何も起きなかった、今後も「自分なり」に生きていっても出会いはごく少数、自然な出会いはほとんど無いのだ。
では、そんな状態からどうすればいいのか。
必要なのは「生き方を変えること」「環境を変えること」なのだ。
生き方を変える〜不自然主義という考え方〜

不自然主義という言葉を皆さんは御存知なのだ?
知らない人も多いかとは思うのだが…。
これは『グラップラー刃牙』などのヒット作で有名な漫画家の板垣恵介さんの座右の銘なのだ。
爆発的な成長をしようとしたり、驚くほどの大きな成果を出そうと思ったら、自分にとって不自然なことをしないといけない、というような考え方なのだ。
板垣恵介さんは漫画家を志して5年目、30歳になった時に全く漫画家として目が出ず、自分らしくとかちんたらしたやり方では絶対に漫画家として目が出ないと考え、プライドを捨てて一念発起して劇画村塾という漫画家養成塾に通うことにし、そこでやっと漫画家として成功する第一歩を踏み出せたそうなのだ。
自分の悲願や大望は、自分らしいやり方の先にはない、それでは実現不可能だ、自分らしくないやり方、本来の自分で絶対に選ばないようなことに踏み込んでいかないと絶対に実現は不可能だ、と考えたそうなのだ。
つまり、非モテになってしまった人にとって、非モテ状態というのは「自分らしい生き方」の結果で、
そこから非モテを脱するには、自分らしいやり方を抜け出して、自分らしくない生き方、自分らしくない行動、自分らしくない選択をしていかないといけないのだ。
もし非モテを脱して恋人を作りたいなら、
このままではいつもの自分のいつものパターンになる、明日もあさっても、来月も来年も、きっと同じ自分になる
そういう選択肢は捨てることなのだ。
非モテとして生まれ、非モテとして育ってきてしまった自分の生き方、考え方、スタイルは、全て自分を非モテのままにするものなのだ。
そこからどれだけ離れられるか、どれだけ自分にとって未知の不自然なやり方に触れて、そして踏み込むことができるか、そういった姿勢にかかっているのだ。
頭を柔軟にし、思考の外や、視界の視覚、未知の領域に心を配るのだ。
今までの生き方の結果が今の非モテという状況なのだ。これからも非モテでありつづけるかどうかは、これからの生き方がきめるのだ。
まとめ

第1回では「間違った戦略をとり続けたら、どれだけ努力しても非モテのまま」と書いたのだ。
第2回は「人は非モテになるのではなく、非モテとして生まれ、育てられる」
「人によって生まれ持った戦力、特徴、与えられた環境や選び取れる環境が違うので、彼女を作るためにとれる戦略とその難易度が違う」
つまりイケメンやコミュ強とは前提条件でもう負けているので、たくさん頑張らないといけないし、違うアプローチをしないといけないのだ。
「非モテに生まれるとか、育てられるなんていうのは結果論に過ぎない」
「単なる努力不足を生まれや、環境のせいにするな」
人によってこうは思うかもしれないのだが、
今論じているのはまさに「結果として、これを読んだあなたが、なぜ非モテという現状に陥ってしまったのか」ということなのだ。
なぜ自分は非モテになったのか、原因を正しく理解することは、戦略を立てる上でおおいに意味のあることなのだ。
生まれや環境にも原因があった、決して努力不足のみが最大の原因ではない、そういう事をきちんと認識してほしいのだ。
そして不自然主義なのだな。
非モテの自分にとっての自然な自分らしいやり方、生き方をしていては非モテという状況からは抜け出せないのだ。
次回は、この「自分にとって不自然なやり方」について、具体的に踏み込んて書いていこうと思うのだ。
それまで、ぜひ非モテの読者のみなさんには、自分がどうやって生きてきて、どうやって非モテになっていったのか考えてみてほしいのだな。
自分らしさから抜けるためにも、自分を非モテにした自分らしさについて、ぜひ考えてみてほしいのだ。