
元イさんなのだ!
前回の第6回「会話はゲーム」はいかがだったでしょうか。
他人との会話、とくに「良い関係性を作る」、つまり友人や恋人関係をつくるための会話は、みんなが楽しい会話だったと思えるかが重要、という話だったのだ。
なるべく相手に「うまい質問」をして、相手が話したいと思うことを楽しく話してもらうということだったのだな。
ではここから「コミュ障の克服」について、もう少し踏み込んで書いていこうと思う。
先に今回の結論から言うと
「コミュ障」という困難を簡単に超える、克服するためにやらなければいけないことは「知り合いを作る」ということなのだ。
では、書いていくのだ。
「会話ゲーム」で相手がしたい話は「自己開示」

会話ゲームの攻略法の要点
「相手が話したいと思うことを話してもらう」
の、相手が話したいことというのは、突き詰めてしまえば
「私のことをわかってほしい」
これに集約されるのだな。
こんなことを自分はやってきたんだ、私はこういう人なんです、私はこう考える、最近これにハマってる、昨日こんなことがあった、私はこれが言いたくてたまらないetc.
人間にはどうも「自分のことを他人にわかってほしい」という「根源的な欲望」があるようなのだな。
自分の存在を知ってもらいたい、こんなことを考えた思った、そういうことを知ってもらいたいということなのだな。
twitterもそうだし、今まで会話してきたおしゃべりな人の話を思い出してみてほしいのだ。
だいたい「自分の話ばっかり」だったと思うのだな。
自分の話を他人に聞かせるというのは、どうも人間の持つ根源的な「快感」のようなのだ。
会話ゲームで勝利を目指すにはこのポイントを熟知しておいたほうがいいのだ。
他人が自分の話を思う存分、他人に聞いて受け入れてもらう、興味を持って聞いてもらうのは「抗いがたい快感」があるのだ。
なので「自分の話をきかせて、自分のことを知ってもらう」をやって「自分が気持ちよくなる」その前に、他人の「自分の話」を聞き倒すのだ。
他人が自分相手にしたいと思っている「自己開示」を、思う存分受け止めるのだ。
会話ゲームの基本型「キャッチボール」

とはいえ、なのだ。会話ゲームは片方が延々と話し続けて、片方が延々と聞き続けるものではないのだ。
会話ゲームの基本の型というものがあって、それはキャッチボールなのだ。
うまくキャッチボールが繋がっているパターン
自己開示:自分、もしくは相手が「自分の話をするのだ」
↓
話し手がスイッチ:自分の話の話終わり、小休止に話者が入れ替わるのだ
↓
相手の反応:「自分の話」に対して相手が反応を示す時間なのだ。感想、質問なのだ。
↓
相手の自己開示:ここで「相手の自分の話」が始まるタイミングがあるのだな。
↓
話し手がスイッチ:またその話の一区切りのタイミングで入れ替わるのだ
↓
自分の反応:ここでまた「反応を示す」ターンに入り、そして自己開示につながるのだ。
このように、互いに「会話ゲーム」を勝利に導こうとする両者がする会話というのは、うまく「話し手」に回る時間をうまくゆずりあっていて、キャッチボールするかのように、自己開示しあっているのだな。
自己開示の循環ができてるのだ。
共有、共有、共有!

自己開示のキャッチボール、循環を続けることで一体どんな事が起こるのか?なのだ。
1つ目に「会話参加者の情報の共有」なのだ。
会話をする人達の間で「情報」が共有されるのだ。
会話に参加した人たちの口から話されたその人達についての情報なのだな。
2つ目に「楽しかったという感情」の共有なのだ。
もし会話ゲームに「勝利」していたなら、参加者みんなが「楽しかった」という気持ちになっているのだな。
ここで「楽しかったという感情」を共有したことになるのだ。
3つ目に「楽しい会話をしている時間」の共有なのだ。
会話参加者とその「楽しい会話している時間」を共有したことになるのだ。
同じ時間を過ごした者同士だ、という気持ちなのだな。
「楽しい時間を一緒に過ごした」という、特別な時間を共有した感覚なのだ、
この3つの「共有」がコミュニケーションを円滑にしていくことに役立っていくのだ。
- 会話参加者の情報の共有
- 楽しかったという感情
- 楽しい会話をしている時間
3つの共有が「関係を構築」するのだ

この3つの共有で一体何が人と人との間に発生するのか、簡潔に書くのだ。

あの人と一緒にすごして、とても楽しかった、あの人も楽しそうだった。
という気持ちを、会話参加者同士が抱くのだ。
危険が無く、苦痛も無い、安全で楽しい
そんな「コミュニケーション」が成立していた、そういう気持ちが残るのだ。
そんな気持ちが残った体験というのは、もう一回体験してもいいかなと
次のコミュニケーションに対するハードルが心のなかで下がるのだ。
少なくとも、前回会話に参加したメンバーとなら、会話がまたうまくいくかもしれない、楽しい会話になるかもしれない、と。
もし会話ゲームに見事に勝利し、3つの共有を全員でできていたのなら
参加者みんなが「また、他のみんなと会話したい」と思いあうような、そんな関係になっているのだな。
「また会話したい」、「そんな関係」とは
つまり「友好的な人間関係」や「ある程度の信頼関係」が構築されたことになるのだ。
一つのコミュニケーションから「友好関係」「信頼関係」が構築されていく、そのプロセス、システムについて書いたのだ。
友好関係、信頼関係=コミュニケーション能力

ここで大きく出るのだ。
「友好関係」や「信頼関係」とは、人と人がコミュニケーションを取ることを容易にさせる「コミュニケーション能力」なのだ。
個人の、一人の人間の内側にある話術や、なにか陽気な振る舞いといったものが、コミュニケーション能力なのではなく、
特定の人と、自分との間にある「関係」がコミュニケーションを可能にする「コミュニケーション能力」なのだ。
とても簡単な話で例えると
「初対面の人」と「子供の頃から仲良しの何でも話し合える親友」
どちらとコミュニケーションを取りやすいか。
どう考えても「親友」なのだ。
もともと何でも話し合える「関係」なのだな。
どんな人だかわからない人ととるコミュニケーションよりも、遥かに簡単にコミュニケーション、会話ができるのだ。
コミュニケーションが苦手な、つまりコミュ障の人はこれについて、本当に重く考えてほしいのだ。重要なことなのだ。
話しやすい相手、話しやすい関係だから話しやすい、コミュニケーションがとりやすい
話しにくい相手、話しにくい関係だから話しにくい、コミュニケーションがとれない
うえの2つの文章を見ても分かる通り、自分がコミュ障、コミュ強になるかどうかというのは「相手との関係次第」で簡単に変わるのだ。
関係構築こそコミュ障の特効薬

コミュ障克服のためのテクニックは数あれど、一旦良い関係を作ってしまえば、話術など関係なしにコミュニケーションは簡単になってしまうのだな。
つまりこれは「良い関係を構築した相手」とのコミュニケーション能力を獲得した、ということになるのだ。
自認がコミュ障の人は、本当にこれだけでも胸に刻んでみてほしいのだ。
他人と良い関係を作ることが、自分のコミュ障を克服してくれる、なのだ。
そしてその関係の構築というのは、「対話」を通して3つの共有を行うことでできるのだ。
会話をしたときに
- 楽しいという感情
- 相互理解できたという認識
- 気持ちの良い時間
この3つを共有したときに、相手と「友好的な関係」「信頼関係」が蓄積していくのだ。
「信頼」を蓄積したと言い換えてもいいのだ。
この信頼の蓄積が、相手とのコミュニケーションを可能にする、「信頼関係によるコミュニケーション能力」だと言っても過言ではないのだな。
初対面だけ得意な人、2回目の対面が苦手な人

コミュ障と言われる人の中に、もしくは自認がコミュ障の人の中に、

初対面だけはうまく喋れるんだけど、2回目以降はうまく喋れなくて…。
という認識がある人は少なくないかと思うのだ。
そういう人はこの「関係構築」という概念が抜けているのだな。
「ペラペラと流暢に、フレンドリーにしゃべくり倒して、その場の気まずさを乗り切ればいい」
そういう気持ちで初対面をうまく「乗り切った」と考えてしまうと
- 相手との間になんの「関係」もできていない
- 信頼を蓄積できてない
という状態を作ってしまうかもなのだな。
ただ初対面を無理して乗り切った自分と、無理して会話されて乗り切られた相手、そんな関係なのだ。
自分も当然「無理をしてコミュニケーションした」のだから、2回目のコミュニケーションなんて、できれば無い方がいいくらいの感覚なのだな、
そうなってしまうと、2回目に会ったときに「1回会って会話もしているのに、何故か気まずい」という状態になってしまうのだな。
初対面で「関係や信頼を構築するための会話」をしたのでなく、ただひたすら「気まずさを回避するためだけの会話」に終始してしまったからなのだな。
こうやって「一回会っていて、会話もしているのに、ほとんど心が通い合っていない他人」という関係を作ってしまい、その関係がコミュニケーションを邪魔してしまうのだな。
小手先の話術ではかえって気まずい関係を作ってしまう、そしてその気まずい関係というのは自分とその人のコミュニケーションを妨げてしまう、つまりコミュ障にしてしまうのだな。
悪い関係を作るということは、コミュニケーション能力を喪失させる行為なのだ。
ペラペラと、お互いが黙っちゃうような気まずい時間を穴埋めするためだけにしゃべくり倒すことで「初対面は得意なのに…」と自分のことを思っている人は、ちょっとだけ立ち止まって考えてみようなのだ。
- 相手にたくさん楽しく話してもらったか
- 相手と会話のキャッチボールをして、互いのことを知り合うことができたか
- お互いに楽しい良い時間を過ごせたという気持ちが残るかどうか
コミュニケーション上手は「信頼関係」作り上手

当然、この記事で挙げている「信頼関係によるコミュニケーション能力」というのは、その相手、そのコミュニティでのみ有効なのだ。
信頼関係を積み上げた相手、積み上げたコミュニティ内でのみコミュ強となるのだな。
相手を変える、コミュニティを変えると、そこでは上記コミュニケーション能力は発揮されなくなるのだ。
またその新しい相手、新しいコミュニティで会話を通して信頼関係を構築しないといけないのだ。
(もちろん、会話だけでなく行動を通して信頼を勝ち取る、というやり方もあるのだが、これはコミュニケーション、会話についての記事なので)
コミュニケーションが上手い、と言われる人はこの「新しい相手、コミュニティ」で信頼関係を築くのが早い、ということが言えるのだな。
信頼関係を築くには、雑談を通して「3つの共有」がポイントという話もこの記事で書いたのだな。
新しいコミュニティに入るのが苦手な人はぜひ、この3つの共有
- 会話の楽しさ
- お互いの情報
- 楽しい時間
この3つを共有したことによって、信頼を得てみてほしいのだ。
信頼値が相手に蓄積される=「信頼関係のコミュニケーション能力」

今回の連載では「コミュニケーション能力」とは、自分の中に蓄積される話術や会話の経験値というものだけではなく、
会話、コミュニケーションを取ろうとする相手の中に「信頼値」「信用」という形で蓄積していって、その蓄積が自分とその人との間でコミュニケーションを可能にしてくれる「信頼関係のコミュニケーション能力」になる、という内容だったのだ。
信頼関係のコミュニケーション能力という言いまわしがわかりにくいなら、「コミュニケーションを助けてくれる、可能にしてくれる」という言い方でもいいかもなのだ。
その「信頼値」を上げるためにも「会話ゲームにみんなで勝利する」という必要があるのだな。
無事に「みんなが会話を楽しんだ」という勝利に貢献できれば、その分だけ貴方は会話参加者から「信頼値」を獲得できるのだ。
その会話参加者たちとの間に信頼値を貯めれば貯めた分だけ、貴方のコミュニケーションはずっと楽に、簡単に、可能になっていくのだ。
ぜひ、会話ゲームの上級者になり、みんなと思う存分楽しい会話を繰り広げていってほしいのだ。
「あなたのことを知りたい」そんな人がコミュニケーションを成立させる

多少センシティブな話になるのだが、以前、相模原で障害者施設殺傷事件が起こったときに、お笑い芸人の爆笑問題の太田さんがラジオでその事件について語っていたことがあるのだ。
その事件での犯人は「意思の疎通のできない人間は人間じゃないから生きている資格がない」というようなことを主張して事件を起こしたのだな。
ラジオで太田さんは端的にまとめると
「犯人はそういった理屈を大声で主張はしていても、周りの人は誰も理解を示さなかった。
ところが、意思疎通ができないと犯人に認識された障害者施設の中の人達は、周りには彼らが何を伝えようとしていたのか感じ取ろう、理解しようとする人達がたくさんいた。
いったいどちらが“意思疎通できない人”なのか」
というようなことを語っていたのだな。
ちょっと重い話になってしまったのだが、
コミュニケーションを可能とするもの、「コミュニケーション能力」というのは、そういった他人との関係によって発生するものなんじゃないかと思うのだな。
自分はコミュ障だ…と思う人も、たまたま意地悪な人しか周りにいなかっただけかもしれないのだ。あなたのことを知ろうと思わず、冷たく幼稚な態度の他人ばっかりだったかもしれないのだな。
それとも、自分から他人と距離を取って「誰とも関係しようとしなかった」からこそ、自然にコミュ障になってしまっただけかもしれないのだな。「誰とも関係していない」んだから、コミュニケーションが取れないのは当たり前なのだな。
落ち込むことはないのだ。ただそうだっただけで、これから改善も克服も、いくらでもできるのだな。
今回のまとめ

ポイントは「会話ゲーム」に勝利することなのだ。
勝利を重ねれば、他人と関係ができるのだ。
楽しい感情、時間を共有してくれるあなたの事を、もっと知りたいと思ってくれる人がふえるかもなのだな。
そうやってどんどん、すこしずつコミュニケーションが可能になっていくのだ。
「コミュニケーション能力」を獲得するのだな。
では、次回は「誰と」会話ゲームをプレイすればいいのか、その探し方、めぐりあい方について書いていこうかと思うのだ。