
元イさんなのだ!
今回のテーマは、出会い、人との出会い方なのだ!
前回まではコミュニケーションの初歩の練習について書いてきたのだ。
新たな練習方法や工夫についても深く掘り下げて書いていきたいとは思うのだが…
今回は「出会い」がテーマなのだ。
出会いのチャンスに乏しい非モテの男女が、この令和の時代にやるべき出会い方について書いていこうと思うのだ。
「25歳恋人いない歴=年齢」は出会いが枯渇

元イさんは以前から「25歳恋人いない歴=年齢」を迎えてしまうと、その後の新規の「出会いの波」は自然にしていて訪れることはなく、非モテ状態が続く、という説を唱えているのだ。
これには根拠があって、小中高校への入学&クラス替えというのはまさに「出会いの波」だったのだな。
沢山の人と「別になんの努力をしなくても」「自然に」出会えた、知り合えたのだ。
それは大学に入っても会社に入っても、わずかにだが起こるのだな。
人によってはたくさん、消極的な人には小さな「出会いの波」なのだな。
ところが、それまでなのだ。自然に起こる出会いの波はそこで絶えるのだ。
会社に入って仕事を始めてからはその「出会いの波」が、何もしなくても自分に訪れることはないのだな。転職でもしない限り。
そして、その自然に起こる出会いの波が最後に起こってから3年、つまり25歳までに今まで出会ってきた人たちの中から恋人が作れなかったのなら
もう新規の出会いが望めない人には、恋愛は無理ゲーになるのだ。
自力で他人との出会いをつかめない人は、25歳までの「自然な出会い」以降、それまで同様のたくさんの出会いというのは訪れないのだ。
新たに他人と出会えることも無く、非モテのまま人生を終える可能性が非常に高くなるのだ。
恋愛はどうしても試行回数=出会いの数が物をいうのだな。
特に、いわゆる非モテと言われる人達、
数少ない出会いで恋人を作れてしまうモテる人達ではない「非モテ」の人達こそ、コミュニケーションを上達させるためにも、女慣れをするためにも、「出会いの数」で勝負をしないといけないのだ。
25歳で非モテの人は、ここからどうやって「出会いの数」を増やすか…
「出会いの波」をどう作るかがその後の勝負を決めるのだ。
昭和の出会い〜社会が、共同体が出会いをセッティングしてくれた〜

昔話に移るのだ。昭和時代、つまり昭和のノリというのはそういうものではなかったのだ。
25歳で出会いが枯渇するという、平成〜令和で形作られていった出会いの枯渇状態とは違った形をしていたのだ。
自分の属する社会が、共同体が、独り者でいることを許さなかったのだな。
つがいを作ろうと自分が属している共同体の中の人があれやこれやと世話をして、出会いをセッティングしてくれたのだ。
たとえば地元(学校)のコミュニティ、親戚のコミュニティ、会社でのコミュニティなどなのだ。
年頃の独り者がいると、どこかからまた別の独り者を探してきてくっつけてきたのだ。
また、近場にいる独身同士をそれとなく接近させて、後押しをしてカップルを作り上げてしまったりなどもしているのだ。
自分が就活をしていた15年以上前の時代でも、社員の「お嫁さん要員」を新卒採用しているような会社もあったのだ。
しかし、インターネットと都市化の時代が訪れ、進んでいき、緩やかにあったそういった互助的な共同体は切り裂かれて、個人主義、個人が個人で生きる時代になり
無理に共同体に入らなくても「孤立感」「孤独感」を誤魔化せる時代になってしまったのだ。
昭和の古き良き世話焼きおじさん、世話焼きおばさんが結婚の世話を焼いてくれる時代は終わったのだ。
時代は、共同体なき、個人でサバイバルする令和時代になってしまったのだ。
まだまだ本題には入っていないので、もう少し本題まで待っていただきたいのだ。
令和時代の「自然な出会い」とは?

元イさんがSNSで観測している令和の今の時代の、出会いについての発言で

もう出会いが無いし、これを頑張るしか無いか…。
というのでよく目にする手段として出てくるものは皆さんもご存知なのだな。
- マッチングアプリ
- 婚活イベント
- ストリートナンパ(ストナン)
この3つなのだ。
本当に?本当にそれだけなのか?令和の時代の普通の出会いはこれだけなのか?
非常に困難な道のように思えるのだな。
マッチングアプリにしても、婚活イベントにしてもストナンにしても、かなりのコミュニケーション能力が問われるもののように思うし、
マッチングアプリの場合、自分のパッと見の外見、ステータスなども問われるものなのだ。
これらは一度「彼女を作ったことがある人」用のものなのではないかと、どうしても感じてしまうのだ。
しかし、そこにしか出会いの希望を見いだせないというのなら、厳しい時代なのだな。
元イさんはそこをなんとかみなさんに「ハック」していってほしいと思い、この文章を書いているのだ。
出会いというものは、実はそこらへんに簡単に転がっているのだな。
山のように。驚くような人数、把握すら難しい位の数の出会いが簡単に自分に訪れるのだ。
どこで?どこにあるのか?
SNSなら、それが可能なのだ。
令和時代の自然な出会いは「SNS」の中にあるのだ。
本題までもう少しなのだ。もうちょっとだけ我慢して読んでほしいのだ。
令和時代の出会いはSNSが最強

もしSNSのアカウントを持っていたらフォロー数、フォロワー数を見てほしいのだ。
自分のでなく他人のでもいいのだが、リアルの知り合い以外で繋がってる人数が何人いるか。
元イさんのtwitterアカウントの場合で言うと…
現在フォロー数は600ほど。だいたい600人の人のツイートをみているのだな。
相互フォローでbot以外の人でも500人近くいると思うのだ。
500人、なんとなくお互いを認識している人間が500人もいるのだ。
出会いの波をのがしてしまった25歳以上の非モテ男性は、年間で何人の新規の人とネット以外で出会うだろうか。
元イさんは、仕事の取引先を除けばほぼゼロだったのだ。
当然、仕事の取引先の人にアプローチをして、トラブルを起こさないでいられるような社交術は持っていなかったのだな。
それと比べて、少なくとも自分にうっすら関心がある500人。
0人:500人。
これがどれだけ優位な環境なのか認識した方がいいのだな。
新規で人と知り合う、接触するのはネットが最強、SNSがものすごく強いのだ。
いまもtwitterをしているみなさんは、自然にフォローを増やしたり、フォロワーが増えたり、新しいフォロワーにフォロー返しをしたりしているんじゃないかと思うのだが、これこそが自然な出会いなのだ。
この「ネット上」の、「オンライン」の出会いを「オフライン」につなげるルートさえ作り上げてしまえば、出会いに関しての問題はもう無いと言っても過言ではないのだ。
出会いが枯渇することは、無いのだ。
もう「無理して努力するしか無い」なんて思いつめなくても済むやり方なのだ。
SNSの出会いは、会う前に「知ってる同士」になれるのだ

twitterでの出会いはストナンでの「全く知らない人」との出会いとは違って、直接会おうと言うときには、それなりにお互いのことを知ってる上で出会うことができるのだな。
なんなら直接会う前から恋愛状態に陥っていることすらあるのだ。
文字ベースのやり取りか、通話を交えてのやり取り、なんでもいいのだが、出会う前にコミュニケーションが発生するのだ。
いまはツールが発展しているので、twitterだけでもスペースという機能で通話配信ができるのだ。
インスタにすら通話機能がある。もちろん、LINEやdiscord、zoomにtelegramにSkype、Googlemeatにと、別の通話ツール、ビデオチャットも山ほどあるのだな。
つまりネットの知り合いと通話するのも簡単で、文字でチャットした仲から、通話した関係にまで進むのも容易なのだな。
“出会えない””仲良くなれない”平成時代の邪悪なネット仕草は捨ててしまおう

恋愛も含めて、インターネットで、SNSで他人と知り合う、オフラインでの出会いにつなげるために「平成」時代の古いネット仕草は捨ててしまいましょうなのだ。
平成時代の古いネット仕草、それは
「匿名で本音を好き放題しゃべる、悪口も当てこすりも皮肉も言いたい放題」
これは、2ちゃんねる(※いまは5ちゃんねる)の「名無し(※匿名)」仕草なのだな。
もし自分の発信が、他人に対しての文句や悪口、ウケ狙いの安易な不謹慎発言、皮肉や重箱のすみをつつくような揚げ足取りばかりになっていたら、それはもう恋愛につながるような出会いどころか、友人すら作れる可能性は少ないと思ったほうがいいのだ。
仕草が古い、古すぎるのだ。
これらをやって友人や恋人と出会えた人がいたとしても、それは彼らに特殊な才能、つまり「文才」があったのだ。
そういう嫌な言葉の羅列でも読んで楽しい文章にして発信する力があるからなのだな。
そんなものが自分にあったならもうとっくに恋人ができているはずなのだ。考え直したほうがいいのだ。
インターネットは「リアル/ネット」とかなり厳密に区分けされていた平成の時代とちがって、
「リアル≒ネット」の状態に令和は限り無く近づいてきているのだ。
発言内容が問題になる頻度は高くなり、「何でもありの無法状態」から「法で監視され、問題のあるものは裁かれる状態」になっているのだな。
しかし、リアルとネットの距離が縮んだことで、「ネットの人と会うのはおかしい」「ネットの出会いはおかしい」という感覚もどんどん減ってきているのだ。
時代の変化に合わせて、自分の立ち居振る舞いも令和時代のインターネット仕草に切り替えていってほしいのだ。
SNS、twitterを2ちゃんねるやニコニコ動画気分の悪ふざけ、不謹慎で「浪費」していないで、自分の人生の突破点として、有効に活用してほしいのだ。
出会いやすい人になろう!!〜セルフブランディングという武装〜

ここからが、まさに本題なのだ!!
昭和平成の時代の「野蛮な自由」を存分に味わったインターネットの仕草は捨て去って、「自律した社交、交流」を目指すのだ!
自由に暴れまわりながら孤独し孤立するよりも、「自分を律して」出会いと交流を楽しみ、その果実をネットの外、オフライン、現実社会にも還元させてほしいのだ。大いに還元できるのだ。
インターネットとスマホの発展が、それを可能にしたのだ。
ネットの活動が現実にも簡単に還元される、これぞインターネットの真価が発揮されていると言っても過言ではないと思うのだ。
SNSのアカウントを「出会いやすい」「親しみやすい」そんなキャラクターとしてセルフブランディングをし、出会いに繋がりやすい、出会いが訪れやすい人になるのだ。
会いたい人、好きな人に会いやすい自分というキャラクターを構築するのだ!
恋愛関係においても、友人関係においても、セルフブランディングは非常に有効に働く武器になるのだ。
自分の邪悪な側面をアカウントに全て託してしまうと、そのアカウントでの「人との良い繋がり」は消えるのだな。
邪悪な側面は「自分を律して」アカウントに出さないようにする、自分の善良な側面や、他人への好意や、良い好奇心、敬意や尊重する気持ちを、きちんとアカウントに出していくのだ。
日常生活で普段やっていることとあまり変わりは無いのだな。
むしろ、日常生活で人付き合いが枯渇してしまったからこそ、「社交」をやる場がインターネットに移ったと言ってもいいかもしれないのだな。
ネットの活動も”戦略的”に〜時間潰しorサードプレイス〜

インターネットやSNSで「自分を発信すること」というのは、一体何のためにやっているのか、もう一度考えてみてほしいのだ。
色んな使い方があるし、特になんにも考えずに「暇を潰しているだけ」「暗い感情をぶつけているだけ」という人もいるのだ。
元イさんは、仕事での人間関係にはもう長いこと限界を感じていて、二十代後半からネットでの交流や息抜きを、仕事、プライベートのどちらでもない第三の場所、サードプレイスとして活用していたのだ。
仕事、プライベートで仲の良い人は殆どおらず、会ったことのないネット友達との雑談が自分を救っていてくれたのだ。
ガス抜き、息抜きができていたのだな。愚痴吐きなのだな。
しかし、その時のネットの友人との雑談や交流を更にポジティブに深めていって、今の元イさんの活動があるのだな。
オフ会を開いてリアルにコミュニケーションが取れ、協力してくれる人もいて、洒落男子でもコラム執筆のお誘いをもらったのだ。
ただの愚痴吐きを、さらに他人への攻撃や、恨みつらみをぶつけるだけに使い孤立したり、ネガティブな感情をふくらませる繋がりに組み込まれてしまうか
それとも、好ましい人を友人にし、味方が仲間増え、リアルでも好意的な交流を盛んにしていくか…
インターネットもSNSも所詮は「道具」、ツールに過ぎないのだ。とても便利な道具なのだ。
今回のまとめ

インターネットやSNSも、どう使うかは自分次第なのだな。
自分を孤立させるために使うか、自分をエンパワーメントするために使うか。
意図して選んでいきましょうなのだ。
次回は具体的にセルフブランディングの方法を書いていこうと思いますのだ。